KCCACメンバーコラム

気候変動における人類の適応とは何だろうか 2022.10.16

京都気候変動適応センター センター長 安成 哲三

 

生物進化における「適応」
 気候変動への対処として、「緩和」と「適応」が対比されています。環境省は、温室効果ガス削減をめざすための法律として、地球温暖化対策推進法と気候変動適応法を創り、前者を「緩和」、後者を「適応」と位置付けています。「気候変動への適応」とは、「地球温暖化を主たる要因とした地球規模での 気候変動に関して、気候変動から受ける生活、社会、経済及び自然環境に係る被害等の影響を防止又は軽減することである。」と、気候変動適応法(2018年制定)では規定されています。
 私たちは、「適応」というと、まず生物が気候変動や環境変動に対して「適応」するという、進化論における「生物への適応」をイメージします。生命が現れて以降、30億年以上にわたる地球史の中で、生物は、地球の気候・環境変動に適応したものは生き残り、適応できなかったものは絶滅してきました。しかも生物圏と地球環境は決して、一方的に気候・環境変動が生物圏に影響を与えるというプロセスだけでなく、生物圏自身が気候・環境変動を変えて、自らもそれに順応して変化し、生き残るというプロセスが含まれています。約25億年前に光合成をおこなうシアノバクテリアが出現して地球大気の組成に酸素(O2)を加え、以後、酸素をエネルギーとして生きることができる生物群が、地球の生物の主流となったのは、その一つの例です。
約5億年前に開始された顕生代(化石として残される生物群の出現した時代)の間にも、過去5回の生物群の大量絶滅イベント(地質学的事件)がありました。大量絶滅の引き金には、巨大隕石の衝突や地殻変動に伴う火山活動の活発化などに伴う、突然の、あるいは急激な気候変化が指摘されています(安成、2018※1など参照)。急激な気候変化により生物群が大量に死滅する地質学的事件(イベント)で、大気と海洋の酸素濃度が低下し、2.5億年前のイベントでは、80%以上の脊椎動物群が死滅したといわれています。このような劇的な気候・環境変動に耐えて「適応」した生物が、次の生物進化を担ったことになります。
※1 安成哲三(2018): 地球気候学 東京大学出版会

 

人類進化における「適応」
 一方、私たち人類(ホモサピエンス)も、古くはアフリカ脱出から現在に至る長い歴史の中でも、気候変動や環境変動に「適応」しながら 居住地域を広げ、農業などの生業を変えつつ、暮らしを営んできました。さて、気候変動適応法についての環境省サイドの解説では、このような生物進化や人類進化における「適応」とは少し異なり、「ここでいう “適応 “とは、(地球温暖化に伴い)今後劇的に変化する気候に あわせて私たちの生活や行動、社会を自ら変化させ、安定的に暮らしを持続させる各種の活動を指しています。」※2とのことです。
 ただ、この解説も指摘しているように、過去2000年来、なかったような人類活動による急激な温暖化(気候変動)にどう対処するかということが課題であるとするならば、そもそもどのような生活、行動や社会のせいで、現在のような温暖化(気候変動)がひき起こされたのか、という問題も含めて検討する必要があると私は考えます。この問題を、脱炭素をめざす「緩和」の課題にのみしてしまっては、「安定的に暮らしを持続させる」活動はどうあるべきかの方向性は出せないのではないでしょうか。
※2 出典:「気候変動適応情報プラットフォームポータルサイト」(https://adaptation-platform.nies.go.jp/climate_change_adapt/qa/01.html
2022年10月16日に利用

 

社会・経済と絡んだ「適応」問題
 例えば、今後大きくなると予想されている海面上昇は、日本を含むアジアの巨大都市は沿岸沿いの沖積平野などに集中しており、気候変動リスクを推定するのに参照する下記の図式に示される気候変動リスク(=ハザード×曝露×脆弱性)は、大きくなるハザード(海面上昇)だけでなく、曝露(海抜高度が低い海岸付近に集中)や、都市構造によっては脆弱性も大きいため、極めて大きくなる可能性が高いことになります。このような巨大都市は、資本主義経済での輸出入などの便宜から、沿岸部に集中していることを考えると、このような都市の在り方そのものも、長期的には変えていくことが必要です。
 農業分野での「適応策」でも、気候変化(高温化)に強い品種の改良も必要でしょうが、日本の場合、これまでの高度成長経済のしわ寄せとして疲弊してきた農業システムや農村社会をそのままにして、技術的な品種改良などに特化した対応が、真の「適応策」になるとは思えません。

図1:世界の気温変化とCO2濃度*出典

図1:世界の気温変化とCO2濃度

 

図:気候変動リスクとそれを構成する要素
*出典:国立環境研究所『環境儀』 コラム「気候変動のリスクとその構成要素」(https://www.nies.go.jp/kanko/kankyogi/61/column1.html

 

 熱中症対策も、特に都市域では大きな課題となっていますが、多くの大都市では室内にいる高齢者が、熱中症で非常に多く搬送されています。このような問題の解決に資する「適応策」は、今後の温暖化に伴う高温日頻度の増加による「予測」ではないはずです。家にエアコンがない、あるいはあっても適切に使えない(使わない)のはなぜか、という、現代社会の問題を含めて、適応を考える必要があります。

 

「人新世」における気候変動適応
 結局のところ、「緩和」と「適応」と分けている現在の気候変動(地球温暖化)対策には、大きな限界があります。「緩和」策は、自治体レベルなども含め、どの国も、2050年に排出量ゼロをめざし、そのためには何をすべきかという問題に特化し過ぎています。この枠の中で、「適応」は、脱炭素ができても、まだ温暖化は収まらないので、その対策も考えましょうという問題としたら、「緩和」策の補完物であるかのような位置づけにされているようにも思えます。「適応」が、多くの市民にも理解されにくいし、大事なのは脱炭素でしょうという声が返ってくるのは、そのためでもあるようです。
 しかし、「適応」の本質は、人類という種が何とか生存するためには、どのような人類社会の変革をしないといけないのか、という問題だと、私は考えます。「緩和」は、むしろそのための方法の一つです。人類が農業を始めてから人口を増加させ、特に18世紀後半以降の産業革命と資本主義経済の「発展」が、現在の気候危機を伴う「人新世」をもたらしていると理解するならば、これらの過去の発展径路をいかに変革して、人類の生存を持続させる「適応」ができるかにかかっていることになります。
 とするならば、冒頭にのべた「生物の進化における適応」あるいは「人類進化における適応」とほぼ同義語として、気候変動における「適応」を考えるべきですね。IPCCでも強調されつつある「変革的適応(Transformative Adaptation)」は、そのような本来の「適応」こそ重要であることを意味しています。もっと平たくいえば、百年先ではなく、千年先の人類社会も見据えた「適応」を考えるべき、ということかもしれません。