KCCACメンバーコラム

京都の文化と気候変動 2023.1.30

京都市 環境政策局 地球温暖化対策室 松浦 真奈

 

 京都市役所の地球温暖化対策室の松浦と申します。

 メンバーコラム第3弾、今回は「京都の文化と気候変動」をテーマにお話しさせていただきます。

 

 昨年度、京都気候変動適応センター(KCCAC)では、まずは京都でどのような気候変動の影響が生じているのかを知るため、ヒアリング調査を行いました。

 京都府・京都市の農林水産業の関係機関から農業・林業・漁業への気候変動影響についてお話を伺ったり、高校の科学系の部活動や農業高校の生徒・教員の皆さんに自然生態系や農業への影響について伺ったほか、文化・伝統への気候変動影響を知るため、庭園、茶道・華道、食文化(日本料理や日本酒、漬物)、工芸(西陣織や漆工)に関わっておられる方々にもお話を伺いました。

 

ヒアリング先

 

 

 

 ここでは、京都の文化・伝統に関して気候変動の影響を伺った中で、印象的だったことを中心にお話しさせていただこうと思います。

 

 ヒアリングの中で、多くの方から聞かれたのが、「四季がなくなってきた」「季節感が失われてきた」ということです。夏と冬の二季のようになってきた、とおっしゃる方もおられました。

 「四季がなくなる」というのはどういうことなのかを考えたとき、いちばんは、やはり気温でしょう。暑い夏がやっと終わったと思ったら過ごしやすい気候の秋は一瞬で終わり、すぐ寒くなってしまう。「やっと涼しくなって秋らしくなってきたと思ったら、もう冬やねぇ」なんて、日常会話のなかでもよく聞かれる話題ですよね。春と秋の、心地のよい気候の時期が短くなったと感じられている方は多いかもしれません。

 また、気温とも関係すると思いますが、春の空気、秋の空気を感じることが少なくなったようにも思います。たぶん、気温だけでなく、風、天気、そのときどきに見られる植物や動物・・・いろいろな要素が絡み合って、春や秋の空気が作られているのだと思います。春や秋ならではの空気を感じられる期間が短くなったり、感じられにくくなったりすることで、四季がなくなってきたように感じるのかもしれません。

 

 

 季節の変化によって、京都の文化・伝統にはどのような影響が生じているのでしょうか。 

 まず、日本料理については、ある時期に、これまでどおりの季節のイメージに合わせた料理を作ろうとすると、食材の価格が高かったり、数が少なかったり、旬を過ぎていたりと、入手しづらい状況が起こり始めているそうです。また、着物について、袷(裏地つきの着物)への衣替えを従来どおり10月に行うと、暑すぎてしまうというお話がありました。庭園では、季節感が変わったりなくなったりしてきている中で、植物が新芽を出す時期や花を咲かせる時期を間違えているように感じられることが挙げられました。苔については、暑さが厳しくなったり雨が思う時期に来なくなることで、根づかなくなっており、京都ではもともと自然に生えていたが、最近はわざわざ植えるようになったというお話を伺いました。また、今後、借景を構成する植物に変化が起こり、景観に影響が出るのではないかという懸念もありました。

 季節の変化は、このように、それぞれの文化に影響を及ぼしているだけではありません。日本の文化は季節の移ろいが根底に流れているため、季節感が失われてしまうとすべての日本文化が成立しなくなるのではないか、また、気候変動により季節が根底から覆ってしまうのであれば、日本文化は変化していかなければならなくなってくるという懸念も聞かれました。

 しかし、このような気候変動の影響に対応していくためのヒントもいただくことができました。

 日本の文化は、気候に合わせどのように工夫し乗り越えていくかを考え、対応することで伝統を継承してきており、変化を受け入れるという心構えも必要だと思う、というお話を伺い、これはまさに、「適応策」の考え方に通じるものだと思いました。京都、そして日本の文化を継承していくためにも、このような、日本の文化に息づく考え方を見直すことができたらよいのかもしれません。

 また、日本の文化は季節や自然、花鳥風月をテーマにしたものであること、さらに、人間と自然は対立する存在ではなく人間も自然の一部だという考え方に基づくものである、という、自然の捉え方、自然との向き合い方についても教えていただくことができました。具体的な行動ではありませんが、自然との距離が遠くなっているこの時代に、自然とのかかわり方を見つめ直すというのも、ひとつの適応策といえそうです。

 

 人と自然の距離を考えるためのひとつの方法として、メンバーコラム第2弾、小田嶋さんのコラムでは、里山での活動に参加することが紹介されていましたが、私からは最後に、私の好きな苔についてご紹介させていただきます。

 ここで、苔について少しご説明します。植物と聞いてすぐイメージされるのは草や木といった種子植物が多いと思いますが、種子植物は維管束(水や養分を体中に運ぶ管)を持ち、水や養分を根から吸収して全身に行き渡らせているのに対して、苔(コケ植物)は維管束を持たず、水分や養分を葉の表面から直接吸収しています。このように体のつくりが単純なため、苔は気候変動の影響を受けやすいといわれています。実際、前述のとおり、京都の苔に変化は生じているようです。

 

 私がなぜ苔が好きかというと、見た目のかわいらしさはもちろんですが、自分より大きなほかの植物たちと競争しなくていいように、ほかの植物が生えていないような場所(山だと岩の上や木の幹、街なかだとアスファルトのちょっとした隙間やはたまた建物の壁面など)で生きていくことを選んでいる、そんないじらしいところです。苔は根から水や養分を吸収しているわけではないので、このようなところにも生えることができるのです。苔に限らずどんな生物でもですが、ほかの生物と折り合いをつけて(つけさせられて)自分の居場所を見つけています。環境への適応ですね。

 また、街なかに生えているのは乾燥に強い種類が多いですが、お寺や山に行くと、湿気を好むものから乾燥に強いものまで、いろいろな種類の苔が見られます。環境に合うものが自然に生えて、生きています。環境に合わなくなればいつの間にか姿を消し、かわりにほかの苔や植物が生えたりもします。人間の場合はそうもいかないことも多いので、その場所で適応していく術を予め考えておく必要があります。

 苔のいいところは、少し探せば街なかでも見られることです。目線を落とせば、苔はそこにいます。苔を通して、気候変動への適応について、考えてみるのもよいかもしれません。

 

 

(参考文献)

・コケはなぜに美しい(大石善隆、2019)